2011年11月02日 11:27 公開

"双葉病院の患者置き去り"誤報はなぜ起きたのか

「災害時の混乱」では済まされない

 福島第一原子力発電所の事故による周辺住民の避難劇の中、5日もの間入院患者の救出が行われず、揚げ句に院長らが"患者見殺し"と筋違いのバッシングを浴びる事件が起きた。いわゆる「双葉病院事件」である。全住民が避難する中、なぜ双葉病院の患者だけが置き去りにされ、再三の救援要請は無視されたのか。なぜ大誤報がつくられたのか。10月29日に東京都で開かれたシンポジウム「東日本大震災被災医師の行動」(医療制度研究会主催)では、同院医師の杉山健志氏や誤報を暴いたノンフィクション作家の森功氏らが登壇し、「災害がもたらしたシステムエラーでは済まされない」と真相究明を訴えた。

院長含め200人以上が取り残される

 事件については、今年7~8月に森氏が週刊紙「週刊ポスト」(小学館)に執筆した4回の集中連載に詳報されているので、ここでは杉山氏が説明した複雑な事実経過をなぞるにとどめる。

 3月11日の震災当時、双葉病院には認知症患者を多く含む340人の入院患者が、また近所の系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」には98人の入所者がいた。震災当日の夜、原発の状況を知ったスタッフらは町役場へ何度も出向いて病院の状態を伝え、避難対応を要請している。

 翌12日早朝には、大熊町の全町民避難が決まった。双葉病院には観光バス5台が回され、搬送に耐えられそうな患者209人と、杉山氏を含む付き添いのスタッフがすし詰め状態で乗り込んだ。これが第1陣の避難である。

 町は役場の職員を含めた全員が避難したが、双葉病院とドーヴィル双葉には依然として227人の患者・入所者が残されていた。双葉病院に残ったスタッフは鈴木市郎院長のみで、ドーヴィル双葉では施設長と事務課長の2人だけ。第1陣が出た直後に福島第一原発で水素爆発が起きたため、職員の命の保証ができないと判断したドーヴィル双葉では、ほかのスタッフを帰したのだ。後続の救出がすぐに来ると思っての判断だったが、救援は翌13日も来ない。

14時間の移動、自衛隊員の乗り逃げ...

 第2陣の救出が行われたのは、14日午前6時半。ドーヴィル双葉の入所者全員(98人)と双葉病院の患者の一部(34人)が自衛隊の救出車両に分乗し、いわき市の高校体育館へ向かった。この第2陣は放射能の検査をするという理由で14時間、距離にして230キロの長距離移動をすることになる。結果、体育館到着までにバス内で3人が死亡、その後も搬送先の病院などで計24人が亡くなった。

 双葉病院にはまだ95人の患者が残っており、鈴木院長のほか、ドーヴィル双葉の施設長と事務課長、途中加わった医師や看護助手らが患者の看護に当たっていた。地元の双葉署から警察官も数人、自衛隊の輸送支援隊長1人も来て待機していた。そこへ2度目の水素爆発が起きた。直後、待機していた自衛隊の隊長は「指示を仰ぎに行く」という理由で事務課長の自家用車を借り、そのまま雲隠れした。

 その夜10時過ぎ、院長らスタッフは警察から緊急避難を指示され、事情も分からないまま警察車両に押し込まれた。原発の状況を受けての20キロ圏への移動であり、そのまま自衛隊と合流するまで山中で1泊するよう指示される。しかし、自衛隊とはすれ違いになった。翌15日午後になって残る患者が救出されたと聞いた院長らは、いわき市の系列病院へと移動した。

 最後に救出された95人が避難所にたどり着いたときには、7人が死亡していたという。最終的に、双葉病院の患者とドーヴィル双葉の入所者から50人が亡くなってしまった。

でたらめの報道発表、マスコミも訂正せず

 この経過に筋違いの批判を浴びせたのが福島県の災害対策本部と、県の発表をうのみにしたマスコミだ。

 自衛隊が双葉病院に到着したときに医師がいなかったこと、患者の死亡が相次いだことを受けて、災害対策本部は鈴木院長らが患者を置いて先に逃げ、そのために患者が多数死亡したかのような報道発表を作成してメディアに配った。

 事実経過だけでも間違った内容であり、取材を受けた鈴木院長が県に抗議したが、県は「病院の管理体制を調査する」と火に油を注ぐ方向の訂正を出す。3月18日の各紙朝刊には、院長らを批判する記事が掲載された。その後、記事訂正を出したのは時事通信社1社だけだったという。

 杉山氏は「第一原発から3~5キロ圏内には双葉病院とドーヴィル双葉以外にもいくつかの医療機関があるが、いずれも12日までに全員が救出されている。それだけに双葉病院が取り残されたいきさつは際立っていた」と指摘。

 (1)なぜ町は患者・入所者が残っていることを知りながら置き去りにしたのか、(2)県と町の連携エラーがあったのではないか、(3)車を乗り逃げした自衛隊員はどこにいったのか、(4)なぜ県災害対策本部は誤報を流したのか、(5)県は遺族に事実経過を説明すべきではないのか―など、検証されるべき点を挙げた。

「名誉回復より真相究明を」

 すべて病院の責任として収められそうだったこの事件が動き出したのは、森氏の取材がきっかけだ。知己からたまたま鈴木院長の紹介を受けた森氏は6月、東京で同院長を取材し、関係各機関への取材を始めた。

 「取材すればするほどおかしな点が出てきた。なぜ、患者は5日間もほったらかしにされたのか。なぜ、残された患者数まで知りながら、町は先に逃げたのか。自衛隊員の乗り逃げも筋の通らない説明しか得られない。災害時のシステムエラーでは済まされない経過だ。誤報についても、自衛隊から県へ報告された元情報、でたらめの報道発表を作成した県、裏付け取材をしないマスコミの問題がある」と森氏。

 森氏の記事と、医師らの名誉回復に協力する井上清成弁護士の働きかけを受けて、事件検証に向けた動きが今秋各所で始まっている。当時のテレビニュースの中で病院を批判する発言をした渡辺周・衆議院議員が、現・防衛副大臣という立場をもって自衛隊内での調査を約束したのだ。地元紙や地元テレビ局、NHKなども、検証記事や番組を続々と出し始めている。

 「報道被害によって傷つけられた名誉を回復するのはなかなか難しいものがあるが、真実が明らかになっていけば少しずつでも解消できるのではないか」と森氏。

 一方、シンポジウムを傍聴していた鈴木院長は弊社の取材に対し、「私自身は(77歳の高齢だから)名誉回復はいい。それよりも、なぜわれわれの病院だけ取り残されたのか、真実を知りたい。そこに何らかでもわれわれの誤りがあったのならば、それを受け止めたい」ともらした。

(編集部)