解剖!日本史上の絵画
2011年12月08日 15:00 公開

頼朝の死因は頸髄損傷か

源頼朝像(神護寺蔵)
源頼朝像(神護寺蔵)

 この肖像画にみられる源頼朝は気力・体力充実した男盛りであり、健康上の不安はなにもなさそうにみえる。頼朝は正治元年(1199年)1月13日、52歳で他界したが、死亡当時の状況がはっきりせず、その死因が大きな謎になっている。鎌倉幕府の正史である『吾妻鏡』も、なぜか頼朝の死んだ前後3年間のみ、ページに空白を生じている。

 この欠落部分をめぐって、のちに多くの噂が取沙汰された。「頼朝は平家一門のたたりで変死した」とか、「義経の亡霊がとりつき狂死した」、あるいは「北条一族の陰謀によって毒殺された」といった俗説がそれである。実際、この頃、京都と鎌倉の間には複雑な政争があったので、このような流言が飛び交ったのであろう。

 頼朝が亡くなって13年目に記された『吾妻鏡』には、「建久九年(1198年)の年の瀬、頼朝は相模川橋の落成記念にでかけ、その帰路、落馬していくばくもなく薨(こう)じた」との記録がある。頼朝は落成記念の祝い酒をしこたま飲み、酔いにまかせて落馬したのであろうか。

 『愚管抄』によれば、受傷後京都に手紙を書かせた事実があるので、数日間、意識があったようである。とすると、もっとも考えられるのは頸髄損傷や外傷による敗血症である。だが、いくら酒に酔ったからといって乗馬の名手頼朝が簡単に落馬するとは思われない。やはり毒を盛られ、馬から落ちたのであろうか。

愛知県心身障害者コロニー こばと学園名誉総長・篠田達明

図:源頼朝像(神護寺蔵)

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