解剖!日本史上の絵画
2011年12月08日 15:00 公開

光秀の近眼

明智光秀像
明智光秀像

 本図は織田信長にそむいた明智光秀の肖像画であり、光秀の亡くなる前後に描かれたといわれる。

 光秀は若い頃から万巻の書をひもといた教養人である。だが書物を読みすぎたせいか、度のつよい近眼になっていたようである。近眼の人は、日頃、目を細めるくせがあるものだが、光秀のこの肖像画でも細い目をしており、陰気な性格とあいまって信長によい印象を与えなかったかもしれない。

 近眼の人は老視の年齢がきても、意外に近くはみえる。光秀が信長に反乱を起こす直前の手紙をみても、筆跡はしっかりしており、近くはよくみえたようである。しかし、少し離れると、もはや信長の表情がわからない。

 一方、秀吉は刻々と変化する信長の表情を読み取り、次になにをすれば主人に喜ばれるかを考え、手を打った。光秀は目がわるいため、おくれをとった。陽気な秀吉と違い、まじめで神経質な性格だったから、よけいに心理的に追いこまれた。ライバル秀吉に追いつき追いこされたあせりが一層これに輪をかけた。信長にうとんじられ、捨てられるのではないかという不安から、ついに本能寺の変をひき起こすにいたった。

 光秀の反乱はその近眼に起因するのではないかというのが、筆者の本能寺の変の医学的解釈である。もし、光秀がよい近眼めがねをもっていたなら、かれも反逆者に追いやられることはなかったかもしれない。

愛知県心身障害者コロニー こばと学園名誉総長・篠田達明

図:明智光秀像(本徳寺蔵)

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