解剖!日本史上の絵画
2011年12月08日 15:00 公開

西鶴の左片麻痺

西鶴の左片麻痺
西鶴の左片麻痺

 江戸時代、浮世草子の作者として名をはせた井原西鶴は大坂の人である。30代の終わりまで、俳諧師として身を立てていたが、40歳の折り、たまたま書いた『好色一代男』を私家本として出版したところ、大変な評判を呼んだ。うわさを聞いた江戸の本屋がこれを菱川師宣のさし絵入りで出版して以来、西鶴は押しもおされぬ流行作家になり、『好色五人女』『世間胸算用』など、やつぎばやに名作をものにする。あまりに売れすぎて筆がまにあわず、代作者までいたらしい。47歳のときには過労がたたり、執筆不能に陥った。

 この肖像画は晩年のものだが、西鶴はいかつい丸頭の肥満体で、いかにも癇癪持ちの高血圧タイプである。右手でやや細い左手をおさえているが、これは脳卒中後遺症の患者によくみられるしぐさであり、左半身がマン・ウェルニッケ肢位を呈していたことが読み取れる。やや怖い顔つきをしており、かつ、表情に左右差があるのも脳卒中による片麻痺の特徴であろう。休筆していたころの手紙に、「いまほど目を痛み、筆も覚え申さず候」との訴えがみられるので、西鶴は高血圧性の眼症状と、眼精疲労による眼痛に悩んでいたことが知られる。

 西鶴は元禄6年(1693年)、大坂の自宅で亡くなった。享年51歳。死因は結核といわれているが、筆者はむしろ脳卒中の再発あるいは心筋梗塞を起こしたものと考えたい。

愛知県心身障害者コロニー こばと学園名誉総長・篠田達明

図:井原西鶴像(久保克敬氏蔵)

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