原千晶さんインタビュー(子宮がんとの闘い)(1)

2012年05月07日 10:00 公開

原千晶さんインタビュー(子宮がんとの闘い)(1)

第1回: 迷った末に子宮の温存を選択

 2010年、過去に2度子宮がんにかかっていたことを公表した原千晶さん。1度目は子宮頸(けい)がん、2度目は子宮頸がんと体がんの併発、そしてリンパ節への転移。30歳、35歳という若さでがんに直面した原さんの葛藤や、体験を経て変わった生き方、昨年に自ら立ち上げた患者会などについて聞きました。

――1度目の子宮がんはどのようにして判明しましたか。

 仕事をお休みしていた30歳(2004年)の冬、体調の異変に気付きました。生理時の経血量が増え、おりものの色が明らかにおかしくなり、差し込むようなお腹の痛みがある状態が2~3カ月続いたんです。実は10代の頃から婦人科系の症状が重くて、20代の頃も年に3~4回は病院に行っていましたが、そこまで悪くなったのは初めてでした。

 近所のクリニックに行くと「子宮の頸部に腫瘍ができているので、大きい病院で診てもらった方がいい」と言われたので、都内の大学病院でコンピューター断層撮影(CT)スキャンや核磁気共鳴画像法(MRI)、腫瘍マーカーの検査をしました。いずれにしても、腫瘍部分を取って調べてみないと分からないとのことで、約1カ月後(05年2月)に子宮頸部の病症部分を切り取る「円錐(すい)切除術」(関連記事)を受けました。手術に際して「がんという可能性もある」と伝えられてはいましたが、術後は体調が劇的に良くなったので「完全に治った」と思い込んでいたんです。

 ところが、病理検査の結果は「子宮頸がん」で、ステージ(進行度)はⅠa期でした。主治医の先生から、再発や転移を防ぐために子宮の摘出を勧められたのですが、がんだったという事実よりも、子宮がなくなることや子供を産めなくなることの方がショックで、涙が止まりませんでした。「病気をきちんと治そう」といったんは手術を受けることを決意したものの、徐々に迷いが出てきたんです。悩みに悩んだ結果、温存することを選びました。その後は「月に1度必ず検査を受ける」ことを条件に、経過観察となりました。

――決断を翻したのですね。

 当時は30歳でしたし、まだ結婚も出産もしていない、一般的にいわれる"女性の幸せ"を私はつかんでいない! という気持ちが大きかったですね。それと、がんに対する知識が本当になかったので、悪い個所は取ったのに、なぜもう一度手術しなければならないんだろうと思っていました。再発や転移が、自分のこととして全く結び付かなかったんです。

――その後の体調はいかがでしたか。

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 術後は約2年間、毎月通院していました。調子は良くなっていたものの時々不正出血などがあって、最初の頃はその度に大騒ぎしていました。でも、検査をしても異常でないことが常で、だんだん「もう大丈夫なのかな」と思い始めて病院に行かなくなってしまったんです。

 2年間ずっと、月に1度という通院の頻度が変わらなかったのですが、それは医師の細かな観察が必要な状態、ということだったんですよね。でも当時は分かっていなくて「こんなに元気だし、結果はいつも同じなのにどうして毎月行かなくちゃならないの?」というのが正直な気持ちでした。仕事や遊び、やりたいことがたくさんあって、自分の体より楽しいことを優先するようになっていたんです。

 それでも、心の中ではやっぱり気になっていました。毎月の生理の度に「今回は問題なかった」「今回はちょっと重いな」とチェックしていましたが、腹痛や不正出血があっても、手術前に比べたら相対的には格段に状態が良くなっていたので、多少のマイナスには目をつぶってしまっていたんです。

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