原千晶さんインタビュー(子宮がんとの闘い)(3)

2012年05月07日 10:03 公開

原千晶さんインタビュー(子宮がんとの闘い)(3)

第3回:病院・医師選びはコミュニケーションが決め手

――治療を受ける病院はどう決めましたか。

 がんの専門病院で治療を受けるにしても、子宮頸がんの手術を受けた病院のカルテが必要と言われ、通院をやめた引け目から恐る恐る前の主治医に連絡をしたんです。すると、その先生は責めるようなことは一言も口にせず「すぐにいらっしゃい」と言ってくれました。先生の見解は「僕も(がん専門病院の先生と同じで)あなたは子宮頸部の腺がんだと思う」とのことでした。運良く翌月に手術の空きがあり、この病院で手術をすることに決めました。

 治療先にがん専門病院を選ばなかったのは、初診で「どうしてここまで放っておいたの?」とか、「このままだと死にますよ」というネガティブなことを一気に言われて、「こんなきつい言葉を浴びながら長い治療期間を過ごすのは私には無理」と思ったのが大きかったですね。非常に腕が良いと評判の先生だったんですが...。

 自分に合う医師選びというのは、本当にコミュニケーションが大切で、結婚相手を選ぶ感覚と似ているような気がします。相手(担当医)に対して萎縮してしまうとか、何を考えているのか分からない、自分の心配事を相談できないといった相手は、私にとってあり得ませんでした。

――どのような手術となったのでしょうか。

 精密検査を受けたところ、子宮頸部だけでなく体部にも腫瘍ができていて、子宮頸がんと体がんを併発しているという事実が発覚しました。子宮頸がん、特に腺がんの場合、術式はほぼ「広汎子宮全摘出術」となるのですが、先生から「子宮体がんへのアプローチを優先します」と伝えられました。私の場合は、摘出範囲が狭くなる「準広汎子宮全摘出術」が採用できたのです。先生の意向として、卵巣や卵管の状態を目で確かめた上で、大丈夫であれば私の年齢も考慮して残す方法を選択してくださり、結果的に温存されました。

 けれども、卵巣を残したというのは手放しで喜べることではなく、転移のリスクも同時に負ったという面もあります。闘病後に患者の会を立ち上げたこともあり、いろんな人のケースを知りましたが、私と同じように子宮の大きい手術をして卵巣を残している人に、今まで会ったことはありません。でも私は、今の時点では残して良かったと思っています。ただ、もし今度何かあったときはすぐに取る覚悟でいます。卵巣がんの怖さも知りましたし、取ることにやぶさかでないですね。

――術後は、病理検査の結果が待っていました。

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 手術の後3週間くらい入院して、傷口の回復と病理の結果を待っていました。体の回復力というのは本当にすごくて、昨日は歩けなかったのに今日は少し歩けた、次の日は小走りできた、そんな感じで日々目に見えて順調に回復していきました。

 そうしてだいぶ元気になって外泊していた時に、病院から結果を知らせる連絡がありました。入院中にいろいろ調べていたので、がん細胞がリンパ節に転移していたら抗がん薬治療が決定だと分かっていましたが、病院に戻って先生に「抗がん薬治療をやりましょう」と言われた時は、やはりショックが大きかったです。リンパ節1個に転移が見つかったので、最終的にステージ(進行度)はⅢ期。先生が説明をしている間もしばらくは打ちひしがれていましたが、「ここまで大きい治療をすることになったのも、最初に先生の言うことを聞かなかったからだなあ」と思い返して、気持ちを持ち直しました。

 抗がん薬治療は3週間に1度の投与を1クールとして、全部で6クール行いました。その間に何度も入退院を繰り返しました。治療中はあまり外出もできなかったので、趣味のバッグ作りに取り組んだりして気を紛らわせていました。非常につらい抗がん薬治療でしたが、母がずっとそばにいて支えてくれたので、本当に心強くてありがたかったですね。

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