2012年06月18日 10:07 公開

低線量放射線によるDNAへのダメージは皆無―米動物実験

 福島第一原子力発電所の事故以来、100ミリシーベルト以下の低線量放射線が人体に与える影響に関して、世界中が科学的なリスク評価に注目している。そんな中、米マサチューセッツ工科大学のWerner Olipitz氏らは、自然放射線の400倍程度の低線量では、DNAへのダメージは全く検出されなかったと、米医学誌「Environmental Health Perspectives」(電子版)に発表した。高線量放射線の影響を当てはめたこれまでの慎重な基準が、今改めて見直されようとしている。

疫学調査では難しい低線量のリスク評価

 高線量放射線被ばくの影響は、広島、長崎への原子爆弾投下後の疫学調査結果などから、ある程度の予測ができている。しかし、低線量放射線被ばくについては、調査例も少なく、追跡調査が長期に及ぶこともあり、その結果放射線以外の原因との区別も難しいため、信頼のおける疫学調査結果に乏しいといわれてきた。

 実際、1986年にソ連(現ウクライナ)で起こったチェルノブイリ原発の事故では、推定平均被ばく線量が165ミリシーベルトといわれる約11万人の現場作業員のうち、0.1%が現在までにがんを発症したという。それでも、事故との明瞭な因果関係が証明された例はない。

 このため、これまでは、高線量被ばくの結果を低線量側に外挿した慎重な基準が用いられてきた。つまり、どれほど低線量の放射線でも、その強さに比例して生体への確実なダメージがあるとする考え方だ。

 これは、ある一定の値以下の線量では生体への影響が全くない(正確には、自然放射線による影響と何ら変わりがない)という線量の閾値(いきち=許容範囲)は存在しないという意味で、LNT仮説(linear-no-threshold hypothesis)とも呼ばれている。この仮説に従い、国際的にも自然放射線の8倍の線量である年間20ミリシーベルトが、避難基準の下限とされてきた。

仮説の見直し迫る結果

 このように疫学調査からでは評価の難しい低線量放射線の影響を、Olipitz氏らはマウスを使った動物実験で直接確かめようと試みた。

 その結果、自然放射線量の400倍に相当する5週間で100ミリシーベルトの放射線を放射性ヨウ素として与えられたマウスでは、DNAを構成する4つのヌクレオチドの正常範囲を超えた分解もDNAの断片化も、それにより誘導される相同組み換えも、放射線被ばくにより誘導されるいくつかの感受性遺伝子の活性化も、すべて認められなかった。

 一方、同じ量の放射線を短時間(1.4分間)で与えられたマウスでは、DNAの断片化や放射線感受性遺伝子の誘導が認められたという。

 Olipitz氏らは、これは生物に本来備わっているDNAの損傷を防ぐ機能が、低線量被ばくに対して十分に働いたためとしている。今回の結果は、この機能のおかげで、ある閾値以下の低線量放射線による生体へのダメージがほとんどない可能性を示唆しており、従来のLNT仮説の見直しを迫るものと考えられる。

新たなリスク評価基準が必要

 世界保健機関(WHO)の中間報告では、福島県およびその近隣県において住民が被ばくした平均線量を10ミリシーベルトと試算している(英科学誌「Nature」2012; 485: 423-424)。一部避難が遅れた福島県の浪江町や飯舘村の住民で10~50ミリシーベルトだという。20ミリシーベルトという国際的避難基準がおおむね守られた形だ。

 しかし、実際に今後どのような健康被害が生じるのかは誰にも予測できないし、もともとがん罹患率の高い日本のような先進諸国では、その原因を原発事故と結び付けることはさらに難しい。

 一方で、慣れない避難先での生活を余儀なくされることによって生じる精神的負担や、このような大規模な移動によってもたらされた経済的損失も無視できない。今後は、これまでのような疫学調査に加え、今回のような直接的に影響をみる研究によって、低線量放射線に対する生物的に安全で、精神的にも安心でき、経済的にも妥当な、新たなリスク評価基準が求められてくるのかもしれない。

(サイエンスライター・神無 久)

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