黒崎伸子さんインタビュー(1)

2012年08月06日 10:00 公開

黒崎伸子さんインタビュー(1)

第1回:スリランカで多発する焼身自殺

 日本を含む先進国の人々が豊かな生活を送っている一方で、世界には貧困・紛争などで常に命の危機にさらされている人々が大勢います。そうした地域に医療を届けるべく、医師や看護師らで構成されている非営利で民間の医療・人道援助団体「国境なき医師団」。1971年にフランスの医師とジャーナリストによって設立され、現在は日本を含め世界25カ国に事務局を持つ国際的組織です。医師の黒﨑伸子さんは2001年に同団体での活動を開始し、現在は日本事務局で会長を務めています。黒﨑さんに、10年以上にわたって続けてきた貧困・紛争地域の現状と現地での医療活動について聞きました。

――なぜ貧困・紛争地域での医療を志したのですか?

 私は長崎にある病院の勤務医だったのですが、病院にある国境なき医師団の募集ポスターを見て面接を受けました。応募の動機は、小児外科を専門としていたこと、卒業から20年たっていたことで、自分が協力できると感じたためです。

 面接に合格したのですが、派遣期間は2~3カ月のため、勤めていた病院をいったん辞職しました。このことを伝えていなかったので、両親にとても驚かれた覚えがあります。反対はされませんでしたが。

 最初に派遣されたのは、インド半島の南にある島国、スリランカ。この国は人口の約7割がシンハラ人、残りがタミル人で構成されていて、2つの民族は宗教も言葉も違います。シンハラ人が政府の多数派となって以来、タミル人は選挙権の剥奪などの差別を受け、1983からは内戦が始まりました。

 私が派遣された当時も内戦の真っ最中。少数派のタミル人は移動の自由を制限されているほか、国内の大きな病院などでは働けないため、タミル人の医師のほとんどが海外に行ってしまいます。私は160床ほどの病院で、国境なき医師団として派遣された医師2人、タミル人の研修医2人で診療に当たりました。

――最初の派遣で衝撃を受けたことは?

黒崎伸子さん

 紛争地での医療というと、銃弾が飛び交う中で大けがした兵士たちを次々と手術していくまさに"野戦病院"のイメージがありますが、スリランカの内戦は兵士同士の戦いではなく、年中争っているわけではありません。お祭りや記念日、集会なんかで人が集まっているところに爆弾を投下したり、銃撃戦が起こったり、政府高官やゲリラ組織幹部の自宅に地雷を仕掛けていたりなど、何かのきっかけがない限りは重症者が出るような争いは起こらないのです。なので、私たちの診療も日常は甲状腺などの慢性的な病気の手術を行い、紛争が勃発するとひどい外傷を負った患者が次々と運ばれてくる、という状態でした。

 小児外科医として20年の経験があり、事前に銃で撃たれた人や地雷を踏んでしまった人の治療などを勉強したので、ある程度できると考えていました。ところが、日本の外科のようにきれいな施術をしていると、何十人もの処置ができないということを現実として知らされました。ただ、かなり覚悟して行ったので、日本で見ることのない強烈なけがに戸惑うことはありませんでしたよ。

 それと、貧しく、夫が兵士に取られるため、既婚女性が自殺するケースを良く見ました。スリランカでは、現在も自殺が死因の第1位です。焼身自殺で死にきれずに搬送されてくることが多く、これも日本ではありえないことだと衝撃を受けました。紛争が激しくなった時期に、あまりにも焼身自殺未遂で搬送されてくる人が多くなったことをきっかけにスタッフが話し合い、重度のやけど患者は鎮痛治療だけを行い、積極的な治療は行わないことにしました。これは、患者の現在と未来を考えての判断でした。

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