2014年04月17日 10:30 公開

がんサバイバーが語る「がんとの上手な付き合い方」 後編

日本臨床腫瘍薬学会の市民公開講座から

 治療法の進歩により、がんを克服する人や治療を続けながら長く生き続ける人が増えている。こうした「がんサバイバー(生存者)」は、どうやってがんと付き合っているのか―。3月22日に千葉市内で開かれた日本臨床腫瘍薬学会の市民公開講座「サバイバーシッププログラム―がん患者の笑顔のためにできること―」では、がんサバイバーである牧野かおりさんが「がんとの上手な付き合い方」と題して講演。自らの闘病とその後の日々を振り返って、希望や前向きな気持ちと恐怖や不安の間を揺れ動く自分を、そのまま認めることが必要ではないかと語った。さらに、その助けとなった仲間や家族の存在、誰かの力になれることの大切さを強調した。(前編はこちら

夢が叶っても消えないモヤモヤ感

 憧れの宮古島トライアスロンを完走! ―牧野さんの夢はかなった。にもかかわらず、「すごくモヤモヤしていた」と彼女は言う。

 トライアスロンで200キロを完走したら、違う自分になるはずだった。それなのに、大会の後もがん再発の不安に襲われる。「私、何も変わってない、いつまで闘い続けるのかな」と感じた。この気持ちは、つらい治療から卒業したときも同じだった。「わーい、ハッピー!」となるはずが、恐怖からは解放されなかった。「私、何でこんなに不安がっているんだろう」と、われながら不思議だったという。

 一つには、社会復帰の問題があった。入社半年で病気が見つかったため、会社からは「半年しか在籍していないから、治療が終わったらまた採用します」と言われていた。治療が終わって連絡すると、「あのときは言えなかったけど、ちょっと難しいんだよね」。自分はこれからどこへ行ったらよいのか、がくぜんとしたという。

 一方、人からは「治ってよかったね」と言われる。牧野さんの場合、部分寛解(治療により腫瘍が小さくなったものの、症状が完全には消えていないこと)だったということもあり、説明は難しかった。"寛解"という言葉の意味から説明しなければならず、分かってもらえないという思いもあり、「うん、そうだね」と返事しながらも、「本当に治ったわけじゃないし...」という気持ちを抱えていた。

 さらに、仲良くなった闘病仲間の死という、受け入れ難い出来事もあった。「頑張ったんだ」「ラッキーだったね」と言われても違和感が消えない。仲間だって頑張っていたし、自分が幸運なわけでもない。そういう気持ちを引きずりつつ、「ああ、トライアスロンって楽しい!」と感じる時間もあって、やはり2つの自分の間を行ったり来たりしている状況だったという。

サバイバーにもあるがんへの偏見

 そんな中、2011年にカナダで開催された「アイアンマンレース」に出場した。アイアンマンレースは、水泳3.8キロ、自転車ロードレース180キロ、長距離走42.195キロの計226キロを競う最も過酷な大会だ。

 「Cancer surviver never give up(がんサバイバーは決して諦めない)」と書かれたビブスを付けて走ったら、選手たちが「君、すごいな! どこのがんなんだい?」「私の家族もがんと闘っているの。あなたから勇気をもらったわ」などと話しかけてきた。牧野さんはそこで、自分が今まで頑張ってきたんだと初めて思うことができたという。一人では受け入れられなかった今の自分を、周囲が認めてくれたことで、自分でも認めることができるようになったのだろう。

 これをきっかけに彼女は、もっとがんサバイバーの力になりたいと思うようになり、米国のLIVESTRONG財団の活動を日本で支援する団体Japan for LIVESTRONG(ジャパン・フォー・リブストロング)の活動に関わるようになった。

 この活動を通じ、がんへの偏見について教えられたことがあったという。

 がんに対する偏見というと、患者に対する周囲の偏見だけだと思われがちだが、患者やがんサバイバーの中にもある。「がんのことは、人には分かってもらえない」「病名を告げたら、今までの自分とは別人のように扱われる」といった思い込みだ。多くのがん患者が周囲に自分の病気のことを話せないのは、そのためなのだ。

伝えることで輝きだしたがんサバイバーたち

 LIVESTRONG財団では、参加者や賛同者に黄色のリストバンドを着けてもらうよう頼んでいるが、牧野さんが走ることでがんサバイバーの気持ちを伝えるというイベントを開催したとき、初めは「このリストバンドを着けて」の一言が言えなかった。友人に言ってもらうと、たくさんの人が「着ける、着ける」と応じてくれた。自分の好きなことをして人の力になれると気づき、笑顔になっていく参加者の姿。それを見て、彼女は「話しても大丈夫かな」と思えるようになったという。

 こうした活動で変わったのは牧野さんだけではない。彼女の友人、「てっしー」さんも、最初は自分ががんであることを知られたくないと思っていた一人だ。しかし、参加するうちに、写真を撮ってもよい、人前で話してもよい、と少しずつ変わってきて、彼はどんどん輝きだしたという。

 牧野さんが「なぜ変わったの?」とてっしーさんに尋ねたら、「話す前は、自分を見るみんなの目が変わるんじゃないかとすごく心配だったけれど、話したら何も変わらなかった」と。会社を休んでいる理由を聞かれたらどうしよう...などと気に病んでいた自分が、オープンにすることで元気になってきたと話してくれた。

共に歩んだ家族との"振り返り会"を提案

 昨年、牧野さんは58歳の父と共にトライアスロンの大会に出た。親子で出る、病気を乗り越えて出るということでメディアからの取材を受けたが、そのとき初めて気付いたことがあった。インタビューで父が、「半年後にはいなくなっちゃうんじゃないかと思っていました」と、初めて彼女の前で泣いたのだ。

 治療中の両親を思い出すと、いつも笑ってくれていた。つまり、牧野さんが元気な自分と落ち込んだ自分を行ったり来たりしていたように、両親も動揺と葛藤を繰り返していた。

 そんな経験を踏まえ、牧野さんは家族との"振り返り会"を提案する。こうした機械を持つことで、病気のことで親に涙を見せたり内面を吐露したりしたことのなかった牧野さんが、「10年たった今も、不安な気持ちをずっと抱えていて先が見えないこともある」と打ち明けられるようになったという。

「病気は人生の転機」「死は役割」、何とか受け入れられるように

 今の牧野さんは、「10年たったらこうなるはずなどというのは、自分で思い描いた理想にすぎない」と考えている。その通り行かないからといって落胆するのは、自分で掘った穴に落ちるようなもの。家族や仲間に素直な気持ちを話せるようになって、初めて彼女は「気持ちが行ったり来たりしても、自分らしく生きていればそれでいいじゃない」と思えるようになったという。

 病気になると、それまで自分の思い描いていた進路からは外れざるを得ない。自分の人生を生きられないと思ってしまう。誰にも予期せぬ人生の転機はあるもので、がんになったことも、入学や就職や引っ越しのような転機の一つとは考えられないか。昨日の自分とは違った状況にいるわけで、今まで普通だったことができなくなったり、これまでつまらなかったことを楽しめるようになったりする。「それを"新しい自分"だからと考えられたら、すごく気持ちが楽になった」(牧野さん)

 旅立っていった仲間についての引っかかりは消えていない。ただ、ある友人がこんな話をしてくれた。「人はそれぞれ役割があって、ある人がそのタイミングで亡くなったのも、その人の役割なんだよ。あなたもいつか死ぬけれど、それも役割なんだよ」と。"人生の意味"などと考え始めると、混乱して泥沼にはまってしまうが、"役割"という言葉で考えると受け入れやすくなったという。

 ただ、これはたまたま自分に合った考え方にすぎないと、牧野さんは話す。「私の場合、病気になった自分を"新しい自分"と考えるようになりました。また、死を"役割"と思って、何とか受け入れるよう努めています。こんな2つの方法でやっていますが、皆さんはこれから、どんな人生を生きていきたいですか?」と問いかけて、講演を締めくくった。

(編集部)

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