2020年03月13日 公開

認知症や寝たきり対策の切り札となる「社会的処方」

© 学芸出版社

社会的処方−孤立という病を地域のつながりで治す方法』(西智弘編著、2020年、学芸出版社)という本が発行された。「社会的処方」とは今、医療の世界で注目されている新しい概念だが、そう言われてもピンと来る人は少ないだろう。副題にあるように「孤立という病を地域のつながりで治す」ことを意味するが、「孤立」って病気なの?「地域のつながり」って医者が処方するものか?と、さらに疑問が生じるに違いない。

 孤立と病気については既報でも触れた(関連記事「孤独は毒か、孤立は病か」)が、著者らは「医療や介護の諸問題の最上流に『地域の人間関係の希薄化、孤立化』がある」と捉え、社会的処方によって人々の社会性が回復できれば、高齢者の認知症や寝たきり対策の切り札になりうると考える。そして、「処方」として患者に紹介されるのは、普通の市民が行っている地域のサークル活動などだ。つまり、「あなたの活動が誰かにとって『お薬』になる」という希望に満ちたメッセージなのである。

社会的処方とは何か:うつ+認知症の80歳代女性が合唱団でよみがえる!

 著者らが催す「暮らしの保健室」の健康カフェに参加したスズキさん。80歳になる認知症の夫のことで困っているという。かかりつけ医は薬を出すだけ。地域包括支援センターに相談して「要支援2」の認定を受けたが、介護予防のイベントや体操に誘っても、「あんなところにいるような年寄りと一緒にするな!」と怒鳴る。最近では、スズキさんが外出しようとすると「どこに行くんだ!」と怒り出すため、夫婦して引きこもって暮らしている...。彼女は「話を聞いてもらえてよかった。最近、他の人と話すことがほとんどなかったから」と帰っていったが、具体的な助言が何一つできなくて落ち込んだという。

 よく耳にする類いの話で、現状をこのまま放置すると、スズキさんは心を病みかねない。といって、何か打つ手があるかというと、とても難しいだろう。その難しさが、著者らを社会的処方に向かわせる契機となった。こうした「既存の医療の枠組みでは解決が難しい問題」に対処する仕組みが、英国には存在していると知り、仲間を募って勉強を始めたのだ。

 英国では、1980年代に各地で社会的処方(social prescribing)の試みが始まった。2000年代に入ると保健省の政策の1つとして位置付けられ、2016年には全英で100以上の取り組みが稼働、全国ネットワークを形成している。例えば、ある家庭医は、週に1回程度は次のような社会的処方を行っているという。

 抗うつ薬と認知症薬が処方されている80歳代女性Maryさんの娘が、「もうどうにもなりません」とクリニックに駆け込んできた。Maryさんが夜は眠らずに泣いており、昼はわけの分からない訴えばかりで、自分の方が病気になりそうだと訴える。医師は、娘にMaryさんの昔のことを質問し、「そういえば、若いころは聖歌隊に入っていて歌うことが大好きでした」という話を聞き出す。そこで地元の合唱団を紹介し、娘と一緒に行ってもらったところ、普段は少し前の会話すら忘れてしまうMaryさんが、楽譜を見ることもなく高らかに聖歌を歌い始めた!  彼女は合唱団に通い続け、しばらくすると抗うつ薬も不要になった...。

社会的処方は救急患者を減らし、医療費を削減する

 これが、英国の臨床の場でなされている社会的処方の実例だ。無論、合唱団だけではなく、ダンスやエクササイズのプログラム、釣りや演劇のサークル、同じ病気の人が語り合う集会、ボランティア活動など、いろいろな種類がある。効果としては、多くの人が孤立から抜け出し、不安や抑うつが減少、自分への信頼感を回復させる。また、救急患者が14%減少するなど、医療費の削減効果も確認されている。

 老人ホームやデイサービス(通所介護)のレクリエーションプログラムと同じじゃないか、と感じる人もいるだろう。確かに活動内容には差がないが、英国では社会的処方の5つのコンセプトを明示している。

・Give:人から施されるだけでなく、自らが支援する側にも立てる
・Connect:他の人たちとつながることができる
・Keep learning:学び続けるものを持っている
・Be active:身体的、精神的に活動的である
・Take notice:周囲で起きていることに注目している

 これらは人が健康に生きていくための方法であり、それを支えることが社会的処方の目的なのである。例えば"Connect"、地域の多様な人が集まるグループに参加し、社会とのつながりを持つことは社会的処方の核心であろう。それは、施設(スズキさんの夫の言う「あんなところ」)の誰かに指図されるレクリエーションとは一線を画する。そして、忘れられがちなのは"Give"である。支援される側に患者を固定化するのではなく、彼らが誰かに何かをしてあげる機会を奪ってはならないという。人は、誰かに助けられるより、助けることに大きな喜びを感じるものだから。

リンクワーカーの存在が社会的処方を可能にする

 英国では、社会的処方は医師だけでなく、看護師や薬剤師、ソーシャルワーカーが行う場合もある。彼らが、合唱団や釣りサークルといった処方先の情報を持っているとは限らない。そこで必要となるのが、リンクワーカーだ。医療者から依頼を受けて患者や家族と面会し、処方先とのマッチングを行うのである。Maryさんの例でも、実際は訓練を受けたリンクワーカーが彼女と面談し、その好みや人となりを把握した上で、最適と思われる合唱団とつないだという。

 本書の編著者である西智弘氏は、川崎市立井田病院に勤める腫瘍内科、緩和ケアの専門医で、一般社団法人プラスケアを立ち上げ「暮らしの保健室」や「社会的処方研究所」の活動をしている。本書の前半では、西氏やその仲間が英国で見学した社会的処方の実例とポイントが報告されている。後半では、日本で進められている種々の「社会的処方のタネ」が紹介される。例えば、あなたが取り組む近所の川をきれいにするボランティア活動、それが誰かの病気を助けられるとしたら...。社会的処方とは、日本で暮らす全ての人が誰かを救うことのできる治療法なのかもしれない。

(あなたの健康百科編集部)